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<   2008年 08月 ( 26 )   > この月の画像一覧   

金メダルを取った人の言葉   

金メダルを取った人の言葉は含蓄があるのは確かだけど
聞くほうの耳も金メダルを取った人が言う言葉として特別聴く体制にある。
金メダルを取った人も、金メダルを取ったからこそいえる言葉を出せる。

確かにその人いたちは本物中の本物だけど
話すほうと聞くほうの状況が双方最高に整っている。

ソフトボールの選手のトークは個人じゃなく団体だから、冷静になってそんなことを考え
ながら聞いていた。

それにしても、ボルドはチキンナゲットしか食べていないなんて、いって
みんなを油断させてるだけかもしれない。そんなわけない。
絶対あの体は、そんなものだけでは作られてないはず。恐るべしジャマイカ!

リレーでバトンなんか落としたら、いじめにあうんじゃないかと思いきや
3カ国ほどの選手みんな落としてた。オリンピックでそんなことが起こるなんて・・・
小学校のときのリレー思い出した。

by rangsjapanM | 2008-08-22 08:38 | Trackback | Comments(0)

 ミステリーUFO 放送・おはよう朝日・収録   

4時半ABC放送局到着・・・5時半スタートまでちょっとした時間があると・・・
早速私という人は遊ぶ・・・・人を驚かすのは大好き!!!
収録の会議室から見える、大阪の風景とUFO・・・
入ってきたTVスタッフにまずこの携帯の写真を見せるのが挨拶がわり・・・
「わーなんやーこれー」「これどこや?」「わーここや」「UFO関西襲来かぁ」
関西人いいリアクション!超満足!!・・名刺交換・・・撮影スタート直前の出来事。
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スタッフ、リポーターのお二人最高!感覚いい・のりもいい・・・無駄な説明必要なし。
私の思ったとおりにすべてが進む。
この商品の楽しさ伝える必要、特別なし。すぐ感覚的に理解。

実際のものを、ほとんどのバイヤーさんがまだ見ていないこの商品
映像以外で一般の人に見せたのは、この日が初めてだった。
撮影というよりも、これが今の若い人の生の声。
そして、今の日本人の若者は楽しむことにストレート・・・
同行した、ラングス大阪支社長さえも初めてみて、同じように驚いて楽しんでいた。
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UFOが浮かぶから、みんなびっくり!すごく楽しい雰囲気・・・大成功!!!

リポーターのたつをくん「これめちゃくちゃ面白い!」と何度も連発

もう一人のリポーターの女の子も、「今までのものの中で1番面白い!」
「なにこれ・・・なにこれ・・・すごーい・・・すごーい・・・どうなってるの?」

男の子「ミステリーや・・・ミステリーや」と嬉しそうに笑う。

「買ったらわかるんやー」
「エーどうなってんの?」
「ミステリーや」ホント男の子、優越感に浸って楽しそう。
目のくりくりしたかわいい女の子もわけもわからずリアル楽しそう。
「でかい目で見るなー」と男の子
「今までの撮影で1番面白いわー」「こんなん言っていい?」「ホントだから」と女の子
男の子と女の子の会話は関西弁ですすむ・・・・
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やらせ的要素ゼロ、この女の子をミステリーUFOでたつをクンは純粋に楽しませた。

この生の楽しさを伝えることができることが私には一番重要だった。
TV特有の作りこみなく、撮影が進んで、見ている私もわくわくどきどきした。

私がこの商品に求める楽しさが目の前で見れた。
この商品が人に幸せを与えることを実感した。

7時半撮影終了。

収録が終わっても、本気で面白いから、みんな楽しくて、プライベートな撮影が始まった。

撮影本番のときよりも、開放されて楽しそう。

「めっちゃ面白い」・・・「めっさおもろいわーこれ」・・・「めっつさ?」って何?

私は最高に幸せな気分でスタジオを後にした。

日本人の若者大好き!!!この商品もまだ世の中に出していないのに
まだ見ぬ次の商品にわくわくしている。

8時の新幹線で東京へ!今日の1日も速かった。
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リアルスポーツも私の範疇じゃない、かといって、おもちゃもも私の範疇じゃない
だったら、私は私独自の世界を作らなくては・・・・
スポーツトイというカテゴリーに行き着いた私だけど・・・
それを超えたところに、行ってみたいと思ってチャレンジしたのがこの商品

by rangsjapanM | 2008-08-22 00:40 | Trackback | Comments(0)

2位じゃなくて1位をとる人の言葉には含蓄がある   

「過程も大事だけど、結果を追い求める事が大事。」

「才能ですか?努力ですか?」

「努力だと思います。」

「喜びは一瞬、1分のために4年間頑張ってきた道のりは、そう簡単ではなかった」

北島康介選手が今日の夜中1時ごろニューズゼロの生放送で
インタビューに答えて一言一言かみしめながら答えていた言葉。

2位じゃなくて1位をとる人の言葉には含蓄があるし、
1位をとったんじゃなくて1位をとりに行った気迫を感じた。

ちょっと、ファンになったかも。本物がすき!
ファンでは失礼かも、私の中では、イチローの領域。

by rangsjapanM | 2008-08-21 06:28 | Trackback | Comments(0)

お盆・・・写真の曽祖父に会う   

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お盆は千里浜海岸で泳いだ。あんまりきれいなので夕日を写した。
今は道路がついたけど、子供のころは実家の松林の中の細い道を
子供の足で何時間か歩き、目の前にこの風景が見えたときは嬉しかった。

父も祖父も,[ここは全部ウチの山]と通るたびに説明してくれた。
敷地をとおり海に着くことも子供心に嬉しかった。

今年は車だったけど、父はここは「ウチの山」と運転しながら、
私の息子とも誰に言うともなくまた言った。

敷地の広さを言うより、
先祖から受け継いだものを
売らずに次の世代に渡せる満足感のようにも聞こえた。

車には私の弟も乗っていた。弟はすでにビールを何杯も飲んで
泳ぐことで頭がいっぱいで聞いていない様子。


弟は慶応大学卒業後、東京の1部上場企業に就職した時は嬉しそうだったけど
すぐに親の願い、資産のの管理もあり、この地にもどった。


お互い東京だったら、どんなに楽しかっただろうと思ったときもあったけど。
長男意識が強く実家を守ってくれて、私には帰る場所がある。
嬉しくありがたいと思っている。

日焼けをしたくないのと、夕日が見たいため、日没の30分前に連日でかけた。

子供のころは
「人さらいが来るから夕方の海には絶対行くな」と、言われていた。
薄気味悪くて、海に行くのは人が多い海水浴シーズン、ほとんど家族で。

近所の人たちが夕方海に行かないのは、この地域の暗黙の了解だった。
昨今の拉致をいわれ始める、ずーっと以前から、この辺の人はみんな知っていた。
夕方外にいるだけでも、「人さらいがくるから家に帰ろう」というのは日常だった。

ニュースで拉致という言葉で言われ始めたとき本当に怖かった。
私は10代の終わりごろ、ボーイフレンドとこの夜の海に何度か来たから。

もしかしたら拉致されたカップルになっていたのは私だったかも。
海岸にはハングル文字の容器がたくさん今でも流れ着いている。
能登の海は潮の流れだけでもこれる場所。
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お盆に携帯に残した写真
右から2人目が曽祖父 1800年の終わりごろの写真
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曽祖父は塩の販売の権利も持っていた。
その権利を持った人たちの集まりの写真。
(昔、そのれは大きな利権だったらしい)

曽祖父はビジネスのためと地域社会の発展のために線路を引っ張ってきた。

煙で鶏が卵を産まなくなると地域の住民に反対され裁判まで起こされたけれど
それでも、七尾線を自分の地域に引いた。

反対や裁判の話は聞いていたけど、今年のお盆は質問したから
その後、発展の兆しが見え、反対した人たちまでから敬われた・・・と、事後談を
聞くことができた。

石川県の七尾線の開通は1896年。

商才にたけた人だったと聞いている。できうる限りの商売にチャレンジした
形跡が残っている。

天国からブログを見ていたら

もっと、いっぱいエピソードあるのに、省略するなと言っているかもしれない。

曽祖父は祖父の義理の父、祖父は父の義理の父。
つまり2代にわたり養子縁組、母も祖母もしかも2代にわたり同じ家から出た人と結婚した。

「養子の家に育った娘は強い、」と夫の母に結婚当初よく言われた。
確かにそうかもしれない。

最近は「遼ちゃんが美紀ちゃんみたいなお嫁さんをもらってくれたら嬉しい」と
義母が私の母に言ったと、母は親としてこんな嬉しい言葉はないと
言っていた。これもこのお盆に聞いた嬉しい話。

by rangsjapanM | 2008-08-19 20:10 | Trackback | Comments(1)

2008年お盆   

アルバムで見る私の祖父。子供のころ、この写真をよくみていた。

こうした1人でポーズをとった写真はほかにもあるけど、
写真は、ほとんど、扉のついた薄紙つきの台紙の中にあり、
ダンディな祖父は金沢では最高のテーラー平井でスーツをあつらえていた。

写真の台紙はほとんど東京の写真館。自分が大好きで東京が大好きだったのか・・・
こんな祖父がいつしか私の理想になっていたかもしれない。
地主だったこともあり、公のいろいろな役職をこなし筋を通した決断をしていた。
そんなエピソードを母から伝え聞く。
私の子供のころはすでに現役を退き,優しいだけの祖父だったけど、厳しい一面もあった。
現役の祖父にタイムスリップして会ってみたい気持ちになる。
              私の祖父
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雰囲気や顔は祖父に似ていると自分では思っている

年取った祖父に可愛がって貰った事はよく覚えている。
小さいころから両親と一緒に寝た記憶はない。
一度、両親の寝室に寝にいったことはあるけど「やっぱり行く」と
祖父と一緒に寝ないと落ち着かなかった。
多分、すごした時間だけの影響は受けていると思う。
いつも、「賢い」とほめてもらったことも、覚えている。

思い出のひとつ
小学校にもあがらないころ、郵便貯金を私の名義で作ってくれて、
私はその通帳を眺めるのが大好きで、畳の隙間に見つけたお金も
「これ預けて」と祖父に頼んだ。幼いながらに、家の大きなお金は
両親ではなく祖父が管理していると感じ取っていた。
家長はもちろん父ではなく祖父だった。

当時の通帳は唐草や菊の模様が表紙について中の紙にも模様が施され
今の通帳より格調高く思えた。幼い私にはどんなおもちゃより
祖父がくれたその通帳がわくわくするものだった。

家の中に広間と呼ぶ部屋があり部屋の隅に車箪笥という大事な書類を入れる家具がある。
その中に私の通帳はしまわれていた。時々見せてくれた。

ためたお金と、途中に覚えのない金額が時々出てくる列を
祖父は利息と、そしてその意味を真剣に教えてくれた。
このシーンは大人になって、何度も思い出す。

その時、添えてくれたいろいろな言葉が多分私の中に入っている。
大きく影響を与えられた祖父が作ってくれた通帳と言葉。

姉や弟にも同じようにしたかどうかはわからない。
日常の話題にしたくないから、来年にお盆に聞いてみよう。
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お盆で帰省。
実家に帰ったときしか見れない古いアルバムの写真、
今や携帯の中におさめられるから、不思議な気分。

私の高校生のころ亡くなった祖父の若いころの写真が気になり
今回のお盆、両親に質問しながらながらあらためて、眺めた。

母は自分の思い出の範疇で話すから、いつも同じ話になる。
今回は、質問するようにしてみた。予想通り、本当に知らないことがいっぱい出てきた。

私の知らない祖父や先祖の話を貪欲に聞いた。
子孫が先祖に興味を持つことが、お盆を有意義に過ごすことでもあると考えた。

私も、いつか子孫の中の話題にのぼったら嬉しいかも知れない。
今だけではなく3代後のことまで考えて今を生きている私。

弟は家系図を持ち出し、頼もしい長男振りを見せてくれた。

自分の年齢が増すごと自分のDNAが気になりだす。

父は金沢大学卒業後母と養子縁組した。祖父は父の叔父で、そのとき義父になった。
両親の婚姻関係は家と家とが結んだ。家柄だったり時代だったり。
今の時代には考えられない代々の婚姻関を知り
その中から生まれて来れたことが奇跡なのか必然なのか

とにかく私利だけではなく世の中の流れを考え世の中に貢献して
生きてきた先祖が私のお手本。

小さいころの思い出の中にしかない祖父だけど、
生き方に共感できる部分があって、今、この写真のころの祖父に会って話ができたら
どんなに楽しいだろうと思う。
祖父だけにかかわらず、曽祖父にも同じように感じた。
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アルバムには、昭和3年自室にて。と書いてあった。
私も本を読むのが好きだけど、どんな本を読んでいたのかも興味深い。

「暁烏敏全集」(全二十七巻)が祖父の蔵書として、今も残っている。

お盆に実家に帰ると、また来年見るだろうと思いアルバムの中の先祖
との別れが名残惜しかったjけど
デジタルな世界は、私の中の習慣も変えつつある。
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明治・大正・昭和を仕事もプライベートも謳歌した?左が祖父の楽しそうな笑顔。
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祖父のアルバムには芸者さん?・・・祖母ではないことは確か。

小さいころから何度も見たアルバム・・・パソコンを通して見るなんて
祖父が生きていたらびっくりするだろうし、きっと嬉しいかも知れないと勝手に考える。

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糸魚川の鉄道工事、この仕事に携わっていた。
この写真のなかに祖父はいないから小さいころは興味がなかったけど
仕事というものがわかった今見る目にはすごさを感じる。
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糸魚川は金沢の管轄だったらしい。

その後糸魚川に単身赴任。
いまどきの単身赴任と異なり、正々堂々と人生を謳歌したかもしれないと
何枚もある写真から、想像できる。

この仕事にかかわったいきさつを母から聞き、なんとなく自分と似ていると感じた。
今で言う、抜擢があった。その抜擢の理由も単純明快だけど、素敵な話だった。

実家の中座敷には「抜苦与楽」という祖父が好きだった言葉が表装してかけてある。

この言葉は仏教の基本的な考え方で抜苦は悲・与楽は慈すなわち慈悲
祖父は熱心な浄土真宗の信者で私はすべての考えの着地点が
ありがたいという言葉で終わる考え方ももらっらかもしれない。

自分の生き方は先祖の中に学べるとまたしても感じた帰省だった。

by rangsjapanM | 2008-08-17 17:09 | Trackback | Comments(0)

マークから嬉しいメール   

>> Dear Miki,
>>
>> Thanks for your e-mail. We have gotten many, many inquiries from
>> Korea about Mystery UFO since the Toy Show. I have not answered
>> any of them due to your concerns it may ruin the launch in Japan. I
>> am more interested in a continued long-term relationship with you than
>> increased sales for one product. I feel Japan is more strategically
>> important in the long run than Korea and so I will let you handle
>> Korea for now. ・・・・・・後続く
>>
単発でも儲けたいだけの人間が、多い中
こういうメールは私という人間を理解し信頼していただけてるということ。

私は外国の方と仕事をするとき、日本人としてのとしての誇りとプライドを
もって臨み、日本人の品位が伝わらなかったら何も始まらないと思っている。

海外とのスタートはお互いの探りあいから始まる。はじめから信頼はありえない。
まずは、支払い第一、いくら奇麗事を言っても探りあいから始まる第一の
信頼は前払いをいかに早くするか。どうせ払うものは一刻も早くが鉄則。

ゆるぎない信頼は当然支払いのスピードから始まる。
その繰り返しが続きようやく本当の信頼に入る。

そして、品位なんて言葉がその次の次あたりから出てくる。

ここからが人間対人間の付き合いがようやく始まる。

特に、ヨーロッパ、アメリカとアジアの人間が対等にやっていくには
品位そこが1番重要。
かといって付け焼刃では多分見抜かれる。

だからこういうメールは私の通知簿。

ビジネスだけど、体力関係なしのある意味、オリンピック。

売り先も大切だけど、仕入先である外人に対して特に気を使う。
インポーターにとって、質の高い、賢い仕入先は私の宝。

普通に当たり前に書かれてくる言葉だけど、こういったメールの最後に書かれている
Best Regards,・・・・・・は、特別嬉しい。

私が総代理店をしている海外の取引先は日本人といえば私としか
取引していないわけだから、日本人にもつイメージは私。

みんなが私を大切にしてくれるということは、日本人が大切にされているということ。
私が適当なことをやったら、日本人が適当と思われる。

そんなことをいつも考えながらビジネス以前に日本代表という意識が強く働く。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私の考え方の元になっている先祖にお墓で会えるお盆。

たくさん伝えて、感謝したいことがある。先祖もお願い事されたら大変だと思うから
お願い事はしないようにしているけど、見守ってくださいとだけいう。

そして私が間違ってると思ったら、罰を与えてくださいとお願いしている。
ちょっと怖いけど・・・

だから少しつらい目にあってるとき
先祖からの警告かな・・・と受け止め、わが身を振り返る。

生きてる先祖はなんと言っても両親。
亡くなった先祖も、生きてる先祖を大切にしないと、まずはほめて
下さらないだろう。実家に帰りビジネスより優先しなくては。

とはいっても、頭の中から24時間ビジネスが消えることはないけど。

by rangsjapanM | 2008-08-14 07:01 | Trackback | Comments(0)

オグシオの対戦相手   

オグシオの戦いを見たとき

バトミントンは男女対抗ルールになったのかと思った。

対戦相手が「彼女たち」とわかるのに2分、わかってからも信じられなかった2分。

戸惑った1分。とにかく、いまどきの日本の女の子とはまったく違った。

髪型や服装って当たり前だけど重要なんだ・・・と対比してみて改めて感じた。

オグシオのコスチュームはかわいくてセンスがいい。女の子を強調してる。

中国勢のはだぼだぼとの短パンに大き目のTシャツいわゆる体操服。

日本人は体操服からコスチュームに変わったんだ。

そんなところから、見てたからバトミントンはより楽しめた。

それにしても、かえって負けたオグシオがいじらしくもけなげで可憐に見えたから

ある意味勝ってるかも・・・(私はおやじか)

女って、短髪にしてファッションも関係なしでノーメークで、仕事して勝っても・・・・
・なんなんだか・・

といいながら、3日前オグシオの対戦相手と同じくらいの髪型にしてしまった自分に後悔。

確かに仕事に集中できるんだけど。

もうすぐ、ショーだというのに・・・何てことしてしまったんだろー。自分を振り返る。

天狗になってたかもしれない。髪形なんて関係ないと・・・・

ECOブーメランを発売したからって何も髪型までECOにしなくても・・・

by rangsjapanM | 2008-08-12 18:24 | Trackback | Comments(0)

東京ギフトショ-   

いつもコピーに悩まされ苦々しくも、出費を余儀なくされる。
それで警告文を付け加えるけど、ギフトショーの担当者さんから

「社長、文章はお手柔らかに」と言われる・・・

いつもは、絶対コピーしたら、見つけた方はご一報を、、、弁護士との連携で・・・と
ずばり、書き、その通り実行・・・何社ものコピー商品を破棄させている。
コピー業者なんか信用していないから、破棄も送らせて、自社でしているくらい徹底している。

今回の一面広告がこれ。

「木村君・・・これ変?」

「いや、社長はもう何でもやっていいんじゃないですか・・僕は止めません」

木村君がとめようが進めようが、やるんだけど・・・・気休めトーク。

「そうよね・・・でもこの写真どう思う?」

「や・・・いいんじゃないですか・・・でもコピーする人間を威嚇するには
少し優しすぎないですか?表情が・・・・」

「そんな事ないわよ!・・・でもそうかしらね?」

「ザミルさん、輸入総代理店だけじゃあないわよ今回は
アジアオセアニア輸出代理店も入れなければ・・・担当ザミルさんね
メルアド。ザミルでお願いね」

「えーえーっ・・・」といいながら打ち終わっているザミルさん。

昨日が、データー提出最終日で終えたのがやっぱり夜9時

「もうビジネスガイド社誰もいないわよね。でも今日って約束だから・・・・・」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ギフトショーは9月2日から・・・

9月2日が私の中ではすでに過去の日になっている。

9月2日に出る広告を書いているという事はそういうこと。

仕事は常に3ヶ月、6ヶ月先のことをやってるので

いつでも未来が過去になっている。

時々、自分の中で10月の仕事が終わってたりするので、
11月と思ったりする事がある。

この話し以前夫にしたら・・・

「単に、ボケ始めただけだけとちゃうんか?」的なことを言われた・・
たぶん冗談と思うけど、聞き流す癖がついているから、定かではない。
関西人、冗談と本気の境・・・目を見てもわからない。目を見る情熱がないのか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

何でもあり・・・と考えれば・・・人に迷惑をかけたり、誰かを傷つけたりしない範囲で

自分が傷つく分にはよしとしてわが道を行こう・・・と考えれば

何でもあり・・・常識人には、危なっかしくて見てられないかもしれない。

いつか常識になるだろうことかもしれないことは、そんなものかもしれない。
なんて、自分を励ましながら・・・・
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いきなり・・・なおしみーつけ・・・

構成もブログ掲載したら、客観的に見れてもう一人の人間と目を通した事になる。

「させていただいております」にしなくちゃ変・・・朝一早速訂正。(変更済み)

相談者がいないって、こんな事。

by rangsjapanM | 2008-08-12 03:40 | Trackback | Comments(0)

土日の実演販売   

トイザラスなんば、トイザラス亀戸、トイザラスお台場、品川エキュート、プラザスタイル羽田
ヨドバシ新宿、ハンズ町田・・・・・・・・・・ほぼ全員、総出。(ヨーヨー長谷川チャンピオンも)

この、お店は自分で選んだのではなく、ずいぶん早い時期から依頼があった。

春ごろからお話くださっている場合もある。

たかが私たちのデモンストレーションを期待してくださるなんて嬉しい。

何回かするうちに発展性がないと,思うお店はやめた。
満足とか感謝とかがお互いの中で芽生えていかないと継続は難しい。

なんばパークスのトイザラスは最初は私たちがしていた。
いつか、プライベートで行った時、スタッフの方がして下さってるのを見た。
これは、画期的。しばらく嬉しくて顔を出さずに見ていた。

品川エキュートも3年前はすべて自分たち主体でエキュートさんは
協力だったけど、今回、主体はエキュートさんでこちらが協力。

お互い学習し発展的な関係が私は好きだし、
去年と違うイベントに発展してることに、満足と感謝がめばえr継続できる。
関係を継続するという事は、どのような関係においても言えること。

私は、取引先も大切、商品も大切、自分のスタッフも大切。

すごい暑いところで、スタッフに店頭販売させようとする企画が出たとき

「お客さんも嫌がるくらいの暑さの中でスタッフがたってても
売れるわけがないと思いませんか?

そんな暑いところにいたくないですよ。みんな一刻も早くお店に入りたいでしょう。」

お店の方にも、ラングススタッフにも強く言う。

確かに、春や秋はいいけど、真冬や真夏もどんなにすごいお店でも店頭が良いわけではない。

何でそんな事がわからないんだろう。惰性で依頼されて惰性で請ける仕事では

現場がかわいそうだしエネルギーの賭けどころが無駄になる。

だから今日、みんなは涼しい場所でしているはず。

何でも、引き受けているわけではない。

学校の夏休みはいつもこんな感じのラングスジャパン。

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ラングスジャパンの商品はデスクワークばかりしていてもだめ。

月、火休んだとしても土日の遊びながらの実演が大切。

そう思える人ではないと、「遊び物の会社」は勤まらない。

パソコンですべてが動くと思っている、ネットビジネスが増えれば増えるほど
ホットなハートを伴うこの超アナログ仕事は希少価値。

今の世の中、こんな仕事を誰かがしなくては良い子が育たない。

そして、今日も明日もデモンストレーション。
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意味あるんですか・・・とスタッフに言われながらもやる事がある。

私の中では意味のある事しかやってはいないつもり。
私には将来の結果が見えているからやっていること。
説明が面倒なときがある。

先週、取引先から送られてきた1万何千枚もの値札を
夜中、2mmスタッフ全員で切った。

パッケージデザインを損なう値札だったから。
多分、こういうことが無意味と思われるかもしれない。
そう思うスタッフには単に疲れる仕事で申し訳ないけど。

こんな私のわがままの繰り返しだけど、結果が出たら
みんなに潤いが回り喜べることになると信じている。そんな事が山ほどある。

こういう事が売り上げを変える。DVDの作りこみもそう。

微妙だが1秒が売り上げを変える。2mmも売り上げを変える。


5センチ×3センチのうちの2mmでかくされたパッケージの持つパワーは弱く。
15秒のCMのうちの1秒の持つパワーは多きいい。

8時間の展示会にうちの1時間は大きくて食事をとらなかった日々も同じような考え。
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会社では山口さんと私がDVDの編集。
(結局120秒の映像に8時間かかった。
何も考えなければ1時間ですむ仕事。妥協しないとこの時間はかかる。

山口さんは私のこだわりにいやな顔ひとつしないでとことん付き合ってくれるから、すごい。

クールになったり熱くなったり。いつも言うことがばらばら。

ポリシーがないのがポリシーの私と社内で公言している。

by rangsjapanM | 2008-08-09 14:49 | Trackback | Comments(0)

一人で仕事した日々。   

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1日が1瞬で終わるエネルギーで過ごして来た私にとっては過去はすべて昨日の事。

次女を抱っこする夫のセーターは私の手編み。

子供の冬服も、ほとんど毎日夜中まで編んだ私の手編みの服。

このセーター毛糸ではなくコットンで編んだので伸縮がないため
首周りを失敗し、夫は脱ぎ着する時時、耳が千切れそうといって笑ってた。

最高級の糸で編んでいたから毛糸の出費はばかにならなかった。
ただひたすら、家族のためと思い込み自分の趣味に時間もお金も消費していた。

今の仕事と同じくらいのエネルギーを使い主婦業に専念してた。

夫36歳、私32歳、子供はこのときまだ2人・・・・
編み物をした私のいじらしい指は今、電卓をたたいている。


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夫が産婦人科医として勤務する穴水総合病院の宿舎で暮らしていた。
穴水は全員が顔見知りほどの小さな町。
お付き合いは、院長の奥様。
親切にしていただいた。

患者さんから、お魚をいただいたり、
山菜をいただいたり、医者の妻を満喫していた。

当時、奥能登の小さな町では、赴任してくる医者の妻はいつも注目の的。
なんでもすぐ自分の耳に逆流して自分の言葉が戻ってきた。

今とは違った神経を使ってすごしていた。

能登は有名なお祭りが多く夏はとくに楽しかった。
・・・・長女の手を引いて、次女を抱っこ。
「能登はやさしや、土までも」そんな言葉をお年寄りからよく聞いた。
私も能登で生まれ育った一人。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして現在はというと
会社から半日、外出するだけで、恐ろしく仕事がたまる。

電話が入っていたり、処理しないといけない事・・・

自分が会社にいるとき、
どれだけ多くの仕事をこなしているかが外出するとよくわかる。

私ではないと進められない仕事は、結局自分の為に全て残されているから。

最初は
私のしている仕事がいっぱいいっぱいになった時、自分にしか出来ない仕事
以外の仕事をしてもらうためにスタッフを1人、2人と増やしてきた。

次に一人一人のスタッフが忙しくなりそのスタッフのために、スタッフを増やしてきた。

今は自分が出来ない仕事を出来る人を増やしている。

そうした人の増やし方は会社の質を上げる。素朴に専用主婦は会社を作ってきた。

株式会社を立ち上げてから、
私は、仕入れ、営業、荷造り発送、経理、全部、自分一人でした。

そのうち、取引先が増え、忙しくなっていった。

朝9時電話が鳴り始める前に売り上げとは関係ない仕事を済ませておかないと
と思い、朝5時から7時までにデスクワークを済ませた。

子育て仕事の両立に1番必要な事は、とにかく睡眠時間を削ること。

今も昔も、時間がもったいないからあまり寝てないかもしれない。

今朝、リビングでの夫との会話。
夫いわく
「みんな寝てると思ってるけど、あれは気を失っているんだ。
そして、寝て目が覚めるのが生きている事。寝て目が覚めないのが死ぬという事。
生と死の違いはそれだけ。」

夜、寝るけど、それは気を失っているという事・・・医者的考え?

「じゃあ・・・人って毎日夜、実は気を失ってるの?」と、私

「そう、いつか死ぬ時は寝るつもりで寝て朝起きてこなかった、が最高。」
とまじめな顔をして、話すのが私の夫。

患者さんの死を見てきたから出る考えかもしれない。

時々納得できない事もあるけど、なーるほどと思う事も、たまーにある。


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ソフトクリームを食べる私を
うらやましそうに見上げてる次女。
自分が食べるのに一生懸命の私。・・・母性本能が足らないのか・・
食欲が旺盛なのか
この頃の毎日の仕事は、子供と公園でお散歩・・・・
充実した日々だったけど、達成感というものがなかったという事は
今だからわかる事。
この2年後、仕事を始めた。


子育ては手抜きすると、つけは後に来る。
子供は自然でも育つと、資質を信じた。

取引先との仕事はすぐ結果が出るから手抜きは出来ない。
自然には育たない。

その真逆を考えたりの繰り返し、
それが葛藤という事?


ベッドから、起き上がれないくらい身体が痛くなる日が続き、

1人で仕事をする限界なんじゃないかと気がつき始めた。

人を雇わないといけないと、身体の方が気がつき訴えたように思った。

仕事を始めて数年たち、やっと荷造りしてくれる人と家政婦さんを雇った。

それでも私はいつまでも頭は主婦だった。今現在も主婦であることが柱になっている。

家賃がいらない事と子育てが重要で8年前まで、
車3台入る自宅の駐車場を改造し、
そこを事務所にしていた。

人を雇ったからといってその日から社長にはなれず、
人に仕事を振った事がない私は相変わらず自分ひとりで働いていた。。

売り上げがもっとあがって、経理に時間をとられたら本来の自分の仕事が出来ない事に
気がつき、次にパートの人を頼んだのは、そのまた数年後。
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ちゃんと、ソフトクリーム食べさせていた!
私の胸のペンダントは、香水のビン・・・・・懐かしい便利なペンダント。
娘にこの香水をつけてあげると・・「ああ・いいにごい・・」と喜んだ。
だからか、娘も香水が今も大好き!


スナップウォッチ年間700万個のヒットから状況は一変し、私も変わった。

このヒットは偶然ではなかった。
この商品から、緻密な計画と計算をし始めた。
ようやく、長年の努力がちょっと花開いただけだった。

そして、この商品の爆発的ヒットが終わり
安定販売がスタートした時、初めて1人学生のアルバイトを正社員にした。
現在取締役のアハマド・ザミル・ビン・アリ。
よく片腕、と言われますがあくまでも私の下にいる。

もう1アイティムの安定販売が次の一人の正社員雇用につながる。

今でも1アイティム1人正社員の考えは変わらない。

手形や小切手というものをもらうようになったり
荷造り、経理、学生のアルバイトが入り、
何よりも正社員が1人誕生した事で私に経営に対する責任感が出てきた。

そして、その後増えていった正社員のために、上場企業のやり方をまねはじめた。

それはやっと10年前くらいの事。正社員を会社に存在させ、
そして湧く責任感から、私は肩書きも能力も社長になれた。

決して最初から社長ではなかった。

よく人に聞かれる。

社長はいつ経営を学んだのですか?と、。

経営の勉強をした事もなく、就職経験もない私がよちよち歩いた道のりは

思い出すとすごく楽しい事もあるけど、

ナーバスな日は今から考えても、泣きたくなるくらい、自分がかわいそうになる事がある。

今ではメインバンクの支店長も優良企業とおっしゃってくださり好意的な
お付き合いをしてくださるし、経営をほめてくださる。

会計事務所の先生も顧問をしている中で1番優秀とおっしゃってくださる。

最初一人で全部していたのに、自分がしてきた事を一つ一つ

スタッフに任せるようになって、スタッフが増えていった。

自分の仕事を任せるとき、あきらめずに一生懸命教えた。

一生懸命教えてようやく一人歩き、何かの弾みで

辞めると言われたときは、1番悲しかった。

でも本当にいてほしい人たちは、今もいる。

長い間一人で仕事した日々があるから、経理も荷造りも営業も
今でもすべての仕事が自分は出来るけど、それをやったら、会社は伸びない。

たぶん売り上げは落ちるから、やらないけど、見るに見かねて口を出すときがある。

どの辺の規模である事が、自分にとっても今いるスタッフにとっても

幸せな事なのか、いつも考えている。

大きな会社の社長にはそれなりの苦労が、小さな会社の社長にも

それなりの苦労があり

それは従業員にしても同じことが言えるんだろう。きっと。

今日はとにかく、忙しかった。忙しすぎて何も考えられない日もあるし

忙しすぎて、考え込んでしまう日もある。

1番辛いのは、忙しいという事ではなくて、取引先とうまくいかないことでもなく

スタッフとうまくいかなかった日。

でも、もう一人で仕事した日々には戻れない。

私は新社屋の一室に社長室を作り一人になりたい気分のときもある。

その方がスタッフのためにいいことなのか・・・・

スタッフと横並びで、わいわい仕事をしている、現状のままがいいのか。

本来の仕事の合間、そんなことも考えている。

久々、主婦のときの写真を見ると、捨ててしまった宝物のような専業主婦の過去を思い出す。

ビーパルにブーメランが掲載された日1日、何十本もの電話がかかった。

反響の大きさにびっくりした。

掲載は嬉しかったけど、電話が怖くてテーブルの下にもぐりこんで

鳴り終わるのを待っていた。

その話を人にすると、驚かれるけど、今一番驚いているのは自分。

今は、何が起きても動じないし驚きもしない。常に先しか見ていない。
今を過去としてしか考えていない自分がいる。

by rangsjapanM | 2008-08-06 00:59 | Trackback | Comments(0)