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お盆・・・写真の曽祖父に会う   

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お盆は千里浜海岸で泳いだ。あんまりきれいなので夕日を写した。
今は道路がついたけど、子供のころは実家の松林の中の細い道を
子供の足で何時間か歩き、目の前にこの風景が見えたときは嬉しかった。

父も祖父も,[ここは全部ウチの山]と通るたびに説明してくれた。
敷地をとおり海に着くことも子供心に嬉しかった。

今年は車だったけど、父はここは「ウチの山」と運転しながら、
私の息子とも誰に言うともなくまた言った。

敷地の広さを言うより、
先祖から受け継いだものを
売らずに次の世代に渡せる満足感のようにも聞こえた。

車には私の弟も乗っていた。弟はすでにビールを何杯も飲んで
泳ぐことで頭がいっぱいで聞いていない様子。


弟は慶応大学卒業後、東京の1部上場企業に就職した時は嬉しそうだったけど
すぐに親の願い、資産のの管理もあり、この地にもどった。


お互い東京だったら、どんなに楽しかっただろうと思ったときもあったけど。
長男意識が強く実家を守ってくれて、私には帰る場所がある。
嬉しくありがたいと思っている。

日焼けをしたくないのと、夕日が見たいため、日没の30分前に連日でかけた。

子供のころは
「人さらいが来るから夕方の海には絶対行くな」と、言われていた。
薄気味悪くて、海に行くのは人が多い海水浴シーズン、ほとんど家族で。

近所の人たちが夕方海に行かないのは、この地域の暗黙の了解だった。
昨今の拉致をいわれ始める、ずーっと以前から、この辺の人はみんな知っていた。
夕方外にいるだけでも、「人さらいがくるから家に帰ろう」というのは日常だった。

ニュースで拉致という言葉で言われ始めたとき本当に怖かった。
私は10代の終わりごろ、ボーイフレンドとこの夜の海に何度か来たから。

もしかしたら拉致されたカップルになっていたのは私だったかも。
海岸にはハングル文字の容器がたくさん今でも流れ着いている。
能登の海は潮の流れだけでもこれる場所。
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お盆に携帯に残した写真
右から2人目が曽祖父 1800年の終わりごろの写真
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曽祖父は塩の販売の権利も持っていた。
その権利を持った人たちの集まりの写真。
(昔、そのれは大きな利権だったらしい)

曽祖父はビジネスのためと地域社会の発展のために線路を引っ張ってきた。

煙で鶏が卵を産まなくなると地域の住民に反対され裁判まで起こされたけれど
それでも、七尾線を自分の地域に引いた。

反対や裁判の話は聞いていたけど、今年のお盆は質問したから
その後、発展の兆しが見え、反対した人たちまでから敬われた・・・と、事後談を
聞くことができた。

石川県の七尾線の開通は1896年。

商才にたけた人だったと聞いている。できうる限りの商売にチャレンジした
形跡が残っている。

天国からブログを見ていたら

もっと、いっぱいエピソードあるのに、省略するなと言っているかもしれない。

曽祖父は祖父の義理の父、祖父は父の義理の父。
つまり2代にわたり養子縁組、母も祖母もしかも2代にわたり同じ家から出た人と結婚した。

「養子の家に育った娘は強い、」と夫の母に結婚当初よく言われた。
確かにそうかもしれない。

最近は「遼ちゃんが美紀ちゃんみたいなお嫁さんをもらってくれたら嬉しい」と
義母が私の母に言ったと、母は親としてこんな嬉しい言葉はないと
言っていた。これもこのお盆に聞いた嬉しい話。

by rangsjapanM | 2008-08-19 20:10 | Trackback | Comments(1)

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Commented at 2008-08-29 22:27 x
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