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母が退院・両親から学ぶこと

ラングスジャパンの仕事
2004年、両親と銀座へ・・
私の子供が小さい頃、母はファミリアの洋服を私の子供たちによく買ってくれた。
「あけぼの」のおかきが大好きな母のために銀座へ・・
曾孫、麟太郎のベビーカーを押してくれて歩行者天国歩いた日が懐かしい
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先日、歩けなくなって38日間入院。その母が18日に退院した。今84歳

父は毎日、母に会いに病院に行った。1日に2回も!

先週、甥と息子を伴い東京から石川県にお見舞いに行った。

母がベッツドの枕を逆向きに寝ていた。

「お父さんが来るのがすぐわかるから、ドアに近いほうに枕を置いて寝ている」という母

「入院して、お父さんのことをどんなに頼りにして
自分が大好きな人かわかった」と・・お見舞い時間の2時間の間、3人を前にして
父のことを大好きと母は15回以上も言った。みんな、もらい泣き。

私たち子供の前で、親の立場でしか振舞ってこなかった84歳同士の両親から
はじめて見せられた夫婦が中心の姿だった。父も母にとても優しかった。

父は昼に見舞いに行き、母がご飯を食べる様子を見て帰り
また夕方も、お見舞いに行っていた。

「夕方、顔を見に行けば、あと夜は寝るだけだから、寂しくない」
と父が言っていた。

退院した翌日、父は先祖のお墓参りを母にさせてあげて、
スーパーに母を車でのせて2人で食事の買い物・・・

母がものすごく喜んでくれたと、父から電話があり、私はほほえましくその話を聞いた。

元気に一緒に銀座を歩いたのが、9年前のこと。
その時、会社の建物を購入し、押上の200坪ほどの倉庫も両親に見せたら
私の仕事のサイズに驚いてくれた。

今、高島平の1000坪の倉庫を見たらどういってくれるだろう・・と、時々思う
3年前の新社屋落成式の日、来て欲しいと言ったけど来てくれなかった。

その時から母が自分でインシュリンの注射を打っていたことを
父さえも知らなくて、病状が悪化しているのに誰にもいわなかったのが後でわかった。

両親の存在は私にいろいろなことを考えさせてくれている。

存在がありがたいと、私は何度も父に言う。

仕事の具体的な話を私は毎日父に電話でするから会社の動きは把握してくれている。

こんなに毎日電話していると、この電話の相手がいなくなったとき
私がどんな気持ちになるのかと考えると、そうなった時の自分に勝たないといけないことをも
考え覚悟を決めながら電話をしている。

仕事を理解してくれて、喜んでくれてほめてくれる1番の人が父。

私の能力やパワーは自分で実につけたものではなく両親や先祖から
もらったもの。

だから・・・
有意義に世の中のために役に立てないといけないと常に自分に言い聞かせている。

2001年ゴールデンウイークは、まだラングスはそんなに忙しくなかった。
今は一番忙しい時になっているけれど。

ザミルさんも私の家族と一緒に石川県の実家へ
母が沢山ごちそうを作ってくれた。ザミルさんは本格的な日本料理や家の作りや
骨董品を見て、興味津々嬉しそうだったのを思い出す
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by rangsjapanM | 2012-03-28 23:39 | Trackback | Comments(0)

ラングス代表小林美紀です。仕事をしていく中で感じるさまざまなことを書かせていただいております。http://www.rangsjapan.co.jp/


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