私の携帯待ち受け画面は祖父
2009年 09月 25日
今日嬉しかった事は、日経にプラズマカーが掲載されたこと。
そして、その文章は商品をものすごく理解して書いてくださっていたこと。
取材はラングスジャパンショールームにて
記事はこのページだけだと思っていたら・・・
新聞で言うところの(1番の場所)にも写真掲載・・・・・
何かいいことがあると、私は祖父を思い出す。
明治生まれ・・・80年以上も前の写真
私が知らない頃の祖父、今の私より若い頃
いったいどんな夢を抱いていたんだろう?
祖父と今なら対等に話を出来るのに、、、、あってみたい人は
どんな歴史上の偉人より、この人
幼いころ、いつも祖父は私を「賢い」と言ってくれた。
私も娘の長男に「賢いね」と、よく言う・・・
次男には利口だけれど賢いとは言わない。
私にとっては「賢い」という言葉はこの祖父によって植え付けられた特別な言葉
今の私をがんばらせてくれている言葉・・・幼い頃、言われたその言葉
通知簿の評価より私にとっては、真の評価として受け止めて生きてきたような気がする。
(見守っていてください・・・)と、この写真を携帯の待ち受け画面にしている
先祖があって、今の自分が存在している・・・嬉しいことがあるといつもそう思う
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祖父について
かすかな記憶として思い出したけど
祖父は新聞社の人間をひどく嫌っていた・・・たぶん、私の想像だけど
昔の新聞は唯一の報道ツールだから、たぶん力関係が今のように対等ではなく
権威的だったのかもしれない・・・・プライドの高い祖父には煙たい存在だったかもしれない
晩年、よくそんな話を聞いたのを今思い出した。
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後日、ブログを読んだ姉から電話でその新聞記者の名前を思い出した
姉にも言っていたらしい